道に喩える人生 [思うこと]
人生が道に喩えられるようになったのは一体いつからなのか、
最初に喩えたのは誰なのだろう。
なるほど人はいつも何かしら選び進み生きていく。
それはいくつも交差する道を進んでいく様によく似ている。
けれど、実際に歩く道には目的がある。
いや、目的地に向かって歩いていく。
人生は目的が見えない。目標はあるかもしれないけれど、
それが目的なのか、果たしてそれに向かっているのかわからない。
だけど、歩くたびに何かが残る。
花が咲くか、実が実るか、葉のみが茂っているのかはわからない。
足跡だけが残っている時もあるだろう。
もうきっと会うこともない人々とはきっと交差点ですれ違っただけ。
いまでもかけがえのない友人は時折、風に乗せて種を届けてくれる。
同じ道を歩く人はきっといない、けれどその人の道に咲く花をいつも見ることができるなら
それでいいのだと思う。
私の道に咲く花をその人も時折見つめてくれればそれでいいのだと思う。
一本道を歩いているのではないとわかるだけで。
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